書評:英語論文セミナー 21世紀の分子生物学 渡辺公綱、桂 勲 編

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 本書は、前作「英語論文セミナー 現代の分子生物学」(1995年)から18年ぶりに後継書として編集された。

カバーには、「最高の論文に学ぶ、一流の理論:これから研究の道に入る学生、さらなる高みをめざす研究者に最適!背景や理論、その後の展開までも、深く正確に理解する」とある。この通り、「学生や若手研究者は、論文をきちんと読もう。その研究の目的や論理構成を先人から学び、それらの研究成果が21世紀の分子生物学にいかに反映されているかを理解しよう。」という主旨で編集され、1990年以降に発表されたノーベル賞受賞クラスの論文12編が、第一線研究者による解説付きで紹介されている。

私の読後の感想は、「リアル」の一言につきる。前作の「英語論文セミナー 現代の分子生物学」では、私にとって一世代以上離れた先輩たちの苦闘と創意工夫がつづられていた。言わば、歴史書を読むような感覚があった。一方、本作「英語論文セミナー 21世紀の分子生物学」では、私にとって同時代を体験した論文群がとりあげられている。この21世紀現在の「リアリティ」こそが、編者や解説者たちが18年の時を隔てて後継書を刊行しようと思った動機なのだろう。

第1章は、ヒトゲノムである。やはり、21世紀の分子生物学を語る上では、この章はかかせない。いや、分子生物学という学問領域の枠を超えて、人類の歴史を語る上でも、ヒトゲノム解読の記述はかかせない。そして、ビッグサイエンスと呼ばれるこの研究スタイルは、個人の創意と工夫で前進してきた、これまでの分子生物学とは明らかに異質なものだ。解説は、浅川修一先生である。浅川先生は、1990年代から日本のヒトゲノム計画の最前線に立ち、ヒト染色体をカバーするためには、どうライブラリーを構築するのがよいか、苦心を重ねて来られた。個人の顔が前面に出にくいビッグサイエンスにおいて、一人の研究者が何を考えどう工夫したかが、さりげなく読み取れる、実に味わい深い解説がなされている。

そして、第2章は、エピジェネティクスである。まず、第1章でゲノムに振っておいて、第2章でいきなりゲノムを越えてみせる。しかも、時代はさかのぼって、1992年。紹介されるのは、ゲノム解析以前の時代に、LiらがDNAのメチル化はマウスの胚発生に必須であることを示した論文であり、ゲノム配列だけでは、すべてを語れないことを示している。この大胆な流れも、編者らの意図であろう。以下、第3章テロメア、第4章ナノマシンとしてのRNAポリメラーゼ、第5章RNAサイレンシング、第6章iPS細胞、第7章遺伝暗号解読のメカニズム、第8章β2アドレナリン受容体の結晶構造と続いていく。

私自身が、RNA関連タンパク質の研究にたずさわっているため、懐かしく感じられる論文もあり、あらためて考えさせられるものも多かった。例えば、第3章テロメアでは、テロメラーゼが鋳型となるRNAを保持した逆転写酵素であることを報告したBlackburnのグループの論文が紹介されている。私は20年ぶりにこの論文を読んだが、テロメラーゼが繰り返し配列を合成するため、どうやってRNA鋳型を転座させるのか、すでに、この論文で議論されていることを、すっかり忘れていた。これは、まさに「原著を当たれ」の典型であり、Blackburnたちの先見性と自分の不勉強さを痛感させられた。また、石川冬木先生の解説もすばらしく、なぜ、Blackburnたちがテトラヒメナをはじめとする原生動物を実験材料に選んだのか、ようやく理解できた。

これら一連の論文を読むにつけ、分子生物学を発展させてきたのは、分子生物学そのものだけではなく、周辺分野の発展が不可欠であったことに気づかされる。ヒトゲノム解読には、DNAシークエンサの改良やコンピューターサイエンスの発展が必要であった。また、RNAポリメラーゼやリボソームのような巨大複合分子のX線結晶構造解析成功の陰には、放射光施設の整備やコンピューターと計算・測定手法の発展があった。それらの土台の上で、構造生物学者たちは、新たな結晶化方法を模索し、Cherezovらは膜タンパク質(β2アドレナリン受容体)の構造解析に成功した(第8章)。すなわち、分子生物学は周辺諸分野とお互いに高め合う形で発展してきたのである。編者らは、とりわけ、このことを意識しているのであろう。本書の締めくくりは、前作同様、技術であり、高速シーケンサー(第9章)、RNA-seq(第10章)、緑色蛍光タンパク質の応用(第11章)BLAST(第12章)が紹介されている。最後に、BLASTという、今や誰でも知っている、それゆえに、原著論文を引用することも少なくなったコンピューター検索ツールを紹介して、本書を締めており、編者らのコンピューターサイエンスに対する敬意が感じ取られる。また、各解説は、紹介論文の読解に重点を置いたもの、研究の歴史に重点を置いたもの、技術解説に重点を置いたものなど、さまざまなスタイルであるが、いずれも、長年、その分野で研究をされてきた方々でなければ書けない内容となっている。初学者の方には難しい内容も含まれているが、いずれも現代の最先端研究につながるものであり、ぜひ、その息吹を感じとって欲しい。

さて、本書は、学生や若手研究者の「勉強」のためだけの書籍であろうか?

若手はもちろん、年配の生化学研究者の方々にも、ぜひ一読をお勧めしたい。我々は、どんな時代を生きてきたのかを振り返させられ、分子生物学は、今後、どのようになっていくかを想像させられる一冊である。
(愛媛大学・大学院理工学研究科 堀 弘幸)